日本地図を広げると、紀伊半島は、首都圏から九州へと続く列島の大動脈の向こうに浮かぶ巨大な島のように見える。東京からの所要時間だけを見た場合、大きな半島の南端に位置する熊野は、飛行機や新幹線で容易にアクセスできる博多や札幌よりも遥かに遠い場所に思える。
この地形的な「隔絶感」こそが、平安時代に多くの人を「熊野詣」へと駆り立てた原動力なのだ。熊野に至るまでの山並みや深い谷、険しい海岸線の風景が脳裏に刻み込まれることで、熊野は明るく輝いて見える。いつの時代の人にとってもここは、南の果ての「浄土」となり得ると思う。
楯ヶ崎の壮大な風景は、「熊野」を演出する舞台装置のひとつとして今も機能している。尾鷲と熊野市が山中を貫く長いトンネルで繋がったおかげで、今も海岸線の豊かな自然と小さく点在する漁村の風景は見事に残されている。熊野を論じる時、縄文の匂いを指摘するものが多いが、このあたりはまさにそんな気配が色濃く残る。
【楯ヶ崎】
那智から尾鷲までの海岸付近には、およそ1500万年前に活動した「熊野酸性岩類」と呼ばれる火成岩が広がっている。「酸性岩」とはSiO₂(二酸化ケイ素)が多く含まれる岩石のことで、溶岩として地表に噴出して固まると「流紋岩」、地下深くでゆっくりと冷えて固まると「花崗岩」になる。共に白っぽい岩で明るい景観を作る。
楯ヶ崎の花崗岩は、地下のマグマだまりが冷えたものではなく、地層の割れ目に入り込んだマグマが冷えてできた貫入岩だと言われている。断面の一辺が1~2mもある大きな角柱の柱状節理が見事である。
国道311号から片道徒歩1時間で展望所である千畳敷に着くことができるが、遊覧船から見る熊野の濃い緑と明るい花崗岩のコントラストも素晴らしい。