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「八甲田山」「大雪山」「八ヶ岳」、誰もが知っている山の名前ですが、これらは山群の総称であって、この名を持つ山頂は存在しません。
島根県の「隠岐の島」もこれと同じで、単体の島としての「隠岐の島」はありません。私はずっと「隠岐の島町」がある大きな島がそうだと思っていましたが、正式には「島後(どうご)」と呼びます。島の名前でありながら、「島」という漢字で終わらない珍しいケースです。その島後の南西約20kmにある西ノ島・中ノ島・知夫里島の三島を合わせて「島前(どうぜん)」と呼びますが、この島前と島後を合わせてはじめて「隠岐の島」となるのです。
隠岐の島へのアクセス
隠岐の島へのアクセスは、フェリーか高速艇による海路と、隠岐空港を利用する空路があります。空路は、隠岐空港と出雲空港、大阪の伊丹空港を結ぶ便がそれぞれ一日一往復飛んでおり、例えば午前中に羽田空港を出発し、伊丹空港で隠岐行きの飛行機に乗り継げば、昼過ぎには島後に到着することができます。「時短」で考えるなら空路に勝る移動手段はありません。
海路の本土側の玄関口は、島根半島の先端にある七類港(フェリー「しらしま」は境港が発着港)になります。朝の七類港の桟橋には、2隻のフェリーが船尾を向かい合わせに並んでいて、島後から島前各島をまわるフェリー「おき」と、島前各島から島後をまわるフェリー「くにが」が、朝の9時台に前後して出港します。夜行で車を港まで走らせるか、松江や米子あたりで前泊をしてこの便に乗ると、昼前には最初の島に到着します。隠岐の島と本土との距離は約50km程度なので、乗船時間も2時間と長く感じることはありません。遠ざかる島根半島の山々を眺めながら、ふと船首側に目をやるとすでに隠岐の島影が薄っすらと見えはじめています。
島後と島前の両方を回るのなら最低でも2泊は必要です。それでもやや強行な行程になってしまうので、どちらか一方にしぼる方がのんびりと島を楽しめます。3泊以上の予定がとれるのなら4島すべてを見て回るとよいでしょう。
島前と島後の移動は隠岐汽船のフェリーか高速艇を利用します。便数が少ないので、それに合わせた旅のスケジュールを立てておきます。島前の3島間の移動は、内航路のフェリーと高速艇が頻繁に行き来しているので不便を感じません。予約もなくまさに島民の足がわりとなっています。
島前3島をどのような順番でまわるかは、船便の運航スケジュールを見ながら考えます。カメラマンである私の場合は、光線の当たり具合も考慮しながらスケジュールを立てました。2017年8月の撮影では、1日目に七類港を出港する隠岐汽船のフェリー「くにが」で知夫里島に渡り、昼から夕方まで赤壁を中心に撮影。2日目は、朝の9時台の島前フェリーで西ノ島の別府港に移動し、夕景までしっかりと島内を撮影。3日目は、朝の8時台に島前フェリーで中ノ島に移動し、約3時間撮影して、隠岐汽船の「くにが」で島後へと移動しました。自家用車の運搬がなく、自分の体だけなら高速艇も利用できるので、移動の選択肢はさらに増えます。
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島前カルデラ
島前の地図を広げます(下のグーグルマップを参照)。内海にコブのように突き出た西ノ島の焼火山をないものと仮定して、3島それぞれの稜線をたどっていくと、島々の間の「海峡」を越えてひとつの大きな円になることがわかります。海上に浮かぶ島だと思うとなかなかイメージしにくいのですが、これはまぎれもなく阿蘇山や十和田湖などでよく耳にする「外輪山」です。その円の連なりがわかると、3つの島々に囲まれた内海は、大地が陥没してできた「カルデラ」であることに気が付きます。
島前3島は約600万年前に活動をはじめたひとつの大きな火山島でしたが、約500万年前、噴火によって空洞となった「マグマだまり」の上部が崩壊・陥没し、島の中央部に巨大な凹地ができました。巨大カルデラの誕生です。その後もカルデラ内で火山活動は続き、後に今の焼火山となる火山が新たに現れました。
しばらくはカルデラを持つ大きなひとつの島であった島前も、日本海の浸食により、外輪山の一部が決壊しカルデラ内に海水が流れ込み、いつしか今のような内海を持つ3つの島となったのです。
この大きなカルデラを「島前カルデラ」と呼び、日本の地質100選にも選ばれ、世界ジオパークとして認定される大きな理由のひとつにもなっています。島前の島の小高いところからは、どこからでも焼火山を中心とした島内カルデラを見ることができます。これを普通に「内海」として見るのか、大いなる「カルデラ」をイメージしながら眺めるのかで、自分が立っている島の意味が大きく変わってきます。風光明媚でのんびりとした島の風景が、戦慄を覚えるほどの灼熱と轟音のイメージに一変します。
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■島前カルデラ 展望
知夫里島 マグマのしぶき 赤壁
知夫里島の地形の見どころは何と言っても「赤壁」に尽きます。国の天然記念物にも指定されてるこの赤い岩の断崖は、どのようにしてできたのでしょうか?
島前諸島を形作った玄武岩溶岩は、粘り気が少なくサラサラと流れる特長があります。ハワイのキラウエア火山や1986年に割れ目噴火を起こした伊豆大島の三原山の噴火映像を見ると、火口から溶岩が噴水のように吹き上がり流れていくシーンを目にします。その飛び散った溶岩のしぶきが空気に触れると一瞬で酸化し、赤さび色に変色します。これが降り積もって厚く堆積したものが「赤壁」です。同じ成分の溶岩であっても色の違いから、そこでどのような火山活動があったのかが推測できるのです。
島前の外輪山では、他にも西ノ島の国賀海岸や中ノ島の明屋海岸でもこの赤い岩を目にします。島前全体で、流れ出る溶岩があり、飛沫を上げるような噴火もありと、様々な火山活動があったことが海食崖を見ることで想像できるのです。
■知夫里島の地形と島の風景
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西ノ島 火山島の断面 国賀海岸
国賀海岸は、西ノ島の北西方面に広がる断崖の景勝地です。聳え立つ外輪山を日本海の荒波が長い年月をかけて削り出したので、海岸線の長さ、高さ、見られる海食地形の多彩さなど、日本各地に点在する「断崖の景勝地」のなかでも、スケールでは群を抜いています。
隣の知夫里島の赤壁も同じですが、もともとは外輪山の山体が波によって削られて断崖になっているので、そこには島前火山の内部が断面となって現れています。しかも絶えず季節風と波が岩肌を削るので新鮮な断面が見られるという点でも貴重です。観音岩や通天橋など、彫像としての奇岩巡りも国賀海岸の魅力ですが、その断面から火山島としての地質史を感じ取ることこそが、國賀海岸を観る本質ではないかと思うのです。
断崖をよく見ると赤色をした岩の層が何層もある事がわかりますが、これは溶岩が空気に触れることで表面付近が酸化して変色したものです。知夫里島の赤壁が赤くなった過程と同じです。この赤い岩の層に着目するだけでも、断崖が語り掛けて来る内容が変わります。赤い層の数を数えることで噴火して溶岩が流れ出た回数が分かります。樹木の年輪を数える感覚と同じです。
このように過去を空想することで、実際に目にした地形の姿に、時間の感覚が加わります。この「三次元+時間」こそが地形に対する関心の入口だと思うのです。
ただ実際の岩の層はキレイに積み重なっていることは少なく、曲がったり、途中でずれて消えたり、また別の岩がその間を貫くように入り込んだりと、証拠隠滅の限りを尽くされた「現場」は、混乱の極みです。それでも見続けることで目が慣れて着眼点の整理ができるようになります。
国賀海岸の断崖をしっかり観察するためには、陸からのみでは足りなく、遊覧船に乗って海上から観ることが不可欠です。ただ、限られた時間内で目まぐるしく場面が展開して行く観光遊覧船では、落ち着いて地形を考えたり、写真を撮ったりすることは難しいです。時間があるのなら何度か遊覧船に乗ってみることをお薦めします。
また国賀海岸は島の北西斜面に開けているので、主な見せ場は、太陽が西に傾くほど光が入ってきます。2017年の撮影では午後の最終便に乗船しましたが、北斜面以外は順光から斜光線の光が岩壁に当たってとても写真栄えしていました。
■西ノ島の風景
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中ノ島 赤と黒の岩礁 明野海岸
中ノ島がある町名は、「中ノ島町」ではなく、「海士町(あまちょう)」です。島への移住者が多く、とても元気な島ということでよくマスコミにも取り上げられています。
明屋海岸は赤壁と同じく、鉄分の酸化による赤い岩が主役になります。島前全体の火山活動が630~530万年前なのに対して、この明屋海岸の火山活動は280万年前とかなり新しくなります。しかしその火山の面影も浸食作用により、「ハート岩」周辺の岩礁を残すのみとなっています。
「ハート岩」に近寄よる遊歩道には、赤い岩と通常に流れ出た黒い玄武岩の境目や、赤いスコリアにめり込む火山弾(ボムサグ)などを見ることができます。それらについての解説が遊歩道の入口にあるので一読してから先に進みましょう。
■中ノ島の風景
木路ヶ埼に向かう県道からの島前カルデラ。焼火山付近に夕日が沈むと絶景になるだろうと予想する。次回の私の課題。
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島後 ユーラシア大陸の欠片 隠岐片麻岩
島前の地形は、火山島とカルデラの形成というシンプルなストーリーがあり、しかもそれが見て分かりやすく、且つ壮大に展開するので、私のような地形愛好者向きでした。それに対して島後は、複雑なのか、不明なのか、今ひとつ大きなキーワードが見えにくい感じです。その中で「隠岐片麻岩」の存在はとても気になるものです。ただ、隠岐片麻岩はたまたま島後の大地に含まれていただけで、島を形作った地質史に関わる存在ではないと思います。むしろ日本列島を考える時に重要になってくる岩体ではないでしょうか。
隠岐片麻岩は、沈み込むプレートによって地下15kmにまで引きずり降ろされた岩石が、約800℃の高温と高圧によって変成作用を受けてできた岩です。時系列でみると、日本列島が大陸から分離し日本海ができたのが約1500万年前、隠岐諸島で火山活動が活発だったのが600万年前、そしてこの隠岐片麻岩が地下15kmで変成作用を受けていたのが2.5億年前となります。もちろんそれは今の島後の地下深くでの出来事ではなく、ユーラシア大陸の地下深くでの出来事です。
片麻岩の表面には片理と呼ばれる縞模様が走っています。それは元々の岩石の性質が地下の高温・高圧でリセットされ、再構築されてできた模様です。銚子ダムの路肩に立ち、その模様を2.5億年という時間の隔たりと、大陸の地下深くからやってきたという距離を加味して眺めた時、無機質な岩に対して有機物を思うような不思議な感情が芽生えたのです。
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島後 白い岩の奇岩群 白島海岸
「粗面岩(そめんがん)」聞き慣れない名前です。日本列島ではあまり見られない岩らしく、ここでは流紋岩よりアルカリ成分が多い親戚のような岩石に思っておけばよいでしょう。島後の地質図を見ると、海岸線では粗面岩と流紋岩が広く分布し、部分的に玄武岩が見られます。
粗面岩は、細長い直方体を積み上げたような岩肌をしており、波や季節風の侵食はこの割れ目に沿って進むので、他の岩石に比べて四角柱の細長い柱のような造形が断崖に多数見られます。次に出てくるローソク島もこの粗面岩からできており、このような海食作用の果てにできた形だと言えます。
白島海岸へは中村港から遊覧船が出ていましたが、現在はローソク島の夕日に人気を奪われて廃止されてしまいました。展望台からも俯瞰できますが、それでは遠く、この海岸独特の造形美は伝わりません。間近で見たいなら釣り人用の渡船を個人でお願いするしかありません。
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島後 奇跡の絶景 ローソク島
島後で圧倒的な人気のジオスポットと言えばローソク島になるのでしょう。遊覧船に乗り、船頭さんの巧みな操船により位置を微調整し、ろうそくの灯心と夕日を重ねることで奇跡の絶景が現れます。見て感じるというより、シーンを写真で持って帰るという、SNS全盛の今の時代らしい観光です。実際にローソク島の夕景に関しては、目で見るよりも撮った写真の方がはるかに感動的です。
ローソク島に向かう間にも、岩脈や柱状節理の断崖など、スケールの大きな風景が展開し、それを観るだけでも乗船する価値があると個人的には思います。
ローソク島遊覧は完全予約制となっています。旅の予定が決まったら、隠岐の島町の観光協会に予約の連絡を。
■ローソク島遊覧へ
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島後の地形と島の風景
■島後の風景
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取材日
2017年8月2日~6日
2019年7月27日~30日
コメント
長いコメント書きましたが、送信出来ませんでした。
松岡さま
ごめんなさい。いつかツアーで直接お聞かせ下さい。慌てずに待ちましょね。