伊豆大島 東京都

目次

伊豆大島は首都圏から近い距離にありながら、そこで見られる景観はどこかハワイ諸島やアイスランドに近い印象がある。それはこの三ヵ所が、いずれもその土台を玄武岩溶岩が作っているからだ。玄武岩溶岩はとても粘性が低く地上を這うように遠くまで流れていく。また岩自体の色は黒く、景観の印象に大きく作用する。逆に言うと、日本のなかでここまで生粋の玄武岩の景観をあまり見かけない。アクセスがよい割にとても珍しい風景がたくさんあるという点で、伊豆大島はおすすめの旅先である。

三原山の噴火口越しに見る富士山。さらに後ろを振り返ると利島から三宅島へと伊豆諸島が続く。ここに立つと火山フロントの真上にいることを強く実感する。大地の営みを、抽象的な「イメージ」などではなく、具体的な風景として眺めることができる。

伊豆大島のあらまし

■本州に向かっている伊豆大島

伊豆大島は東京湾から約120kmの太平洋上にあり、利島、新島、式根島、三宅島、御蔵島、八丈島と合わせて「伊豆七島」をなす。これらの島々は、フィリピン海プレートに乗っており、その動きに合わせて少しずつ本州に近づいている。将来的には今の伊豆半島のように本州に衝突し、新たな半島となると言われている。

現在フィリピン海プレートは年間で約3~4cmの速度で北西方向に動いている。大島の向かう北西方向には熱海があり、その直線距離は約42kmである。これを単純に割り算すると、だいたい100万年後に衝突することになる。もちろん現在も本州を押している伊豆半島自体がそのままの形であることはないし、あまり科学的とは言えないが、そのような動的なイメージを持ちつつ大島を眺めることは大切だと思う。

伊豆半島の城ケ崎海岸から見た朝の伊豆大島。シルエットの右端の高まりが三原山の中央火口丘。

■伊豆大島の地史

現在の伊豆大島は、島の中央にそびえる三原山(標高758m)を頂点とする火山島である。しかしもともとはこの付近にあった三つの火山島がそのオリジナルとなっている。島の北端に位置する乳ヶ崎から岡田港あたりにあった岡田火山、大島公園付近にあった行者窟(ぎょうじゃのいわや)火山、景勝地である筆島付近にあった筆島火山が北から南に並んでいた。それら三つの火山の活動期は正確には不明だが、だいたい100万年前から10万年前と推測されている。

三つの火山の活動期が終わり、しばらく空白の時間があったのち、その横で海底火山が噴火をはじめた。約3~4万年前のことで、これが伊豆大島の誕生と言える。海底火山の噴火はその後も続き、三つの火山も飲み込んで大きなひとつの火山島へと成長した。

現在の三原山の山頂部には大きなカルデラがあるが、それができたのは約1700年前のことで比較的最近のことだ。大規模な水蒸気爆発が起こり、山頂部が陥没しカルデラとなった。そして1777年には、そのカルデラ内で起こった噴火により今の三原山の山頂がある内輪山(中央火口丘)が誕生した。

島の東海岸にある景勝地 筆島。その尖った岩峰は、伊豆大島のオリジナルとなった三つの火山島のひとつ「筆島火山」の火道跡と言われている。

■伊豆大島は玄武岩でできている

富士山や三原山、そして同じ伊豆七島のひとつである三宅島の雄山は、サラサラで粘性の低い玄武岩質マグマでできた火山である。それに対して日本にあるその他の大多数の火山は、粘性のやや高い安山岩質やさらに粘性の高い流紋岩質のマグマでできている。ではなぜここに少数派の玄武岩質マグマの火山が並んだのか?

地中深くでマントルが溶けてできたばかりのマグマは高温で、玄武岩質マグマとしてスタートする。しかし地中でもたもたしていると温度が下がり、サラサラの成分から先に結晶となっていく。残りのマグマの中に二酸化ケイ素の割合が増えてくると次第に粘性が増し、呼び名も玄武岩質マグマから安山岩質マグマ、最後に流紋岩質マグマへと変化する。すなわち、生成から短時間で噴火にこぎつけられた火山が玄武岩質、もたもたしていたのが安山岩質や流紋岩質の火山となる。

日本の大多数の火山は内陸、すなわち大陸プレートの上にあるが、三原山や三宅島、富士山はフィリピン海プレートの上に乗っている。実は海洋プレートの地殻は大陸プレートのそれに比べて圧倒的に薄い。生成されたばかりのマグマは高温で軽く、浮力があるので地中を上昇をはじめるが、地殻とマントルの境界(モホ面)あたりで一度止まり、そこでマグマだまりを形成する。海洋プレートの場合、地殻が薄いのでマグマだまりの位置は地表に近くなる。当然そこから噴火までに要する時間も短くて済むので、できる火山は玄武岩質マグマからなるものが多くなる。逆に大陸プレートの場合は地殻が厚いので、それだけ噴火に要するまでの時間がかかり、マグマの性質も変化していく。乗っているプレートによって噴火するマグマの種類や火山の形も変わってくるのだ。

三原山の山頂に転がる玄武岩。この島全体がこの玄武岩からできている。

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伊豆大島へのアクセス

伊豆大島へは東海汽船の高速艇か大型客船を利用することになる。出航する港は東京・竹芝をメインに、熱海や伊東、館山などからも船が出る。運行時刻などは東海汽船のWEBページで確認を。また調布飛行場から大島空港へ飛行機が一日二往復飛んでいる。

伊豆大島にはフェリーの運航がないので、島内の移動はレンタカーが基本になる。台数に限りがあるので、観光シーズンや週末などは予約をしておいた方が良い。その他の移動手段としては路線バスとタクシーがある。路線バスは島の東海岸以外はすべて走っており、筆島と月と砂漠ライン以外のジオサイト(地形の見所)は路線バスでアクセス可能だ。乗り放題チケットなども用意されてるので大島観光協会(☎04992-2-2177)に確認。

東海汽船の高速艇。東京・竹芝と大島を1時間45分、熱海と伊豆大島を45分で結ぶ。

岡田港のターミナルビル。お土産やレストランが入る。大島観光協会は元町港にある。

岡田港に停泊する高速艇。伊豆大島のターミナル港は、この岡田港と元町港のふたつ。当日の風向きや海の状態により入港先が決まる。

大島火山博物館。豊富な展示資料で火山島としての大島の自然を学ぶこうとができる。知識と情報収集は地形巡りの基本。9:00~17:00 一般500円。

三原山の山頂口(登山口)はもちろん、島内のおもだった観光地は路線バスでアクセス可能。乗り放題のチケットなどもあり。

文字通り島の唯一の大動脈。最寄りの町まで走り、そこから枝道に入る。ほぼ迷うことなく目的地にたどり着くことができる。

地形の見所(ジオサイト)には、写真のような案内が設置されており、実景を前にしながら解説を読むことで、より理解を深めることができる。

噴火時の緊急退避用のシェルター。三原山のカルデラ内はもちろん、外周道路などにも各所に設置してある。ここが火山島であることを実感する。

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島の外周の地形① 地層切断面

地層切断面はジオサイトのひとつというより、伊豆大島を代表的する景観といってもよい。昭和28年に大島一周道路の工事のために山の斜面を削ったところ偶然発見された。露頭の高さは約24m、長さは約630mと、道路に沿って巨大な屏風絵を広げたようなその景観は、ほとんどランドアートを見るようである。地層は大きく曲がっているが、これはいわゆる「褶曲」ではなく、もともとの地形の凹凸の上に火山からの噴出物が降り積もったことでできた。

この地層は1万5千年前~2万年前に噴火したものである。このように噴出物が全島を覆うような巨大噴火は、三原山では約150年間隔で起こるとされている。10層なら1,500年間の、100層なら1万5千年間の火山噴火の記録がここに示されてる訳だ。

スコリア層(軽石状の噴出物)とその上の火山灰層で、1回分の噴火の堆積物である。層の厚さや噴出物の内容を調べることでそれぞれの噴火の性格を判断する。

きれいに層が積み重なっていると、その150年間に地形的には大きな変化がなかったと推測できる。しかしこの写真の地層の場合は、白線を境に上下が不連続になっている。下の層が大きく削られたところに上の層が重なっていることがわかる。地表の地形が変化する何か事件が起きたのだろう。それが何かを想像するのも楽しい。

地層切断面に限ることではなく、大島の崖はどこも火山噴出物の地層が現れる。

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島の外周の地形② ボムサグ(bombsag)

bomb(爆弾)という物騒な単語も含まれる聞き慣れない地形用語である。サグとは「たわみ」を意味する言葉で、高速道路の業界用語では、下りから上りに転ずるあたりを「サグ」と呼んでいる。知らず知らずのうちに車の速度が落ちてしまう渋滞発生の要因箇所である。

「爆弾」+「たわみ」からも推測できるが、ボムサグとは噴火によって飛ばされた噴石が、未凝固の火山灰層などに落下した際についためり込んだ跡のことである。伊豆大島ではトウシキ海岸と筆島近くにあるカキハラ磯で見られる。これらの噴石は、波浮湾の海底噴火で発生したものと推測されている。めり込んだ痕跡から火山弾が飛んできた方向を導き出すと、この波浮湾が起点となることが判明したからだ。

★大島ジオパークでは「ボムサッグ」と記載しているが、ここでは「ボムサグ」とした。どちらでもよいと思うが、ネット検索する際「ボムサッグ」だと、大島関連の記事しか出てこないので注意。

トウシキ園地の遊歩道沿いにあるボムサグ。今しがた飛んできてめり込んだようなリアルな痕跡である。

カキハラ磯のボムサグ。造形的にはこちらの方が目を引く。落下した火山岩が傘の役割を果たし、下層を風化浸食から守ることで土柱状になっている。ボムサグ+土柱の合わせ技である。

カキハラ磯のボムサグのひとつ。この岩塔はボムサグが風化浸食から守ったことでできた。同心円の模様は火山灰層の地層が差別浸食を受けたもの。でき方を言葉にすると味気ないけど、自然の造形力には本当に感服する。

カキハラ磯の凝灰岩層に含まれる火山豆石(かざんまめいし)。宙を舞う水滴に火山灰が付着してできる火山噴出物のひとつ。成因の大半は噴火時に降っている雨が起点になるようだが、この場合は波浮港の海底噴火で巻き上げられた海水か、噴火の原因となった地下水が豆石形成の起点になったと言われている。豆石のサイズは直径が5mm前後である。

見晴台から俯瞰した波浮港。手前の木立が邪魔して下半分は見えていないが、写真左の円形部分が火口跡(タフリング)。それを人の手で掘って太平洋とつないで港として整備した。

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島の外周の地形③ 赤禿・砂の浜・トウシキ海岸・筆島

■赤禿(あかっぱげ)

美しい夕日が見られることで名高いサンセットパームライン沿いにある。赤いスコリアは今から3400年前に噴火した時に噴出したもので、高温で溶岩に含まれる鉄分が酸化したために赤く変色した。このすぐ近くに火口があったのだろう。

赤禿の海食崖。ここから見る夕日は大島一と言われ、夕方になると多くの観光客がやって来る。

■砂の浜(さのはま)

伊豆大島は玄武岩でできている島なので、そこにある砂浜は当然黒い砂浜になる。このような場所が日本列島の中で他にあるだろうか? あまり聞いたことがない。冒頭にハワイやアイスランドに似た景観と書いたが、そう思う最たる場所がここである。この浜を見るだけでも大島に来る価値があると個人的には思った。

地層切断面から波浮港に向かって少し行った先にある。とても写真的におもしろく、できれば海水浴シーズンを外して誰もいない(足跡のない)砂浜を撮ってみたい。

■トウシキ海岸

海食崖には火山噴出物の堆積の様子が見えている。火山だけでできた島であることをこんなところで実感する。

断崖上は芝生の園地が整備されており、キャンプ場となっている。島の南端に位置するので町の明かりの影響を受けず、春の夜明け前や夏の夕暮れ後などは天の川が太平洋上に見える。

■筆島

伊豆大島の土台となった三つの火山のひとつ、筆島火山の火道跡と言われている。火道とは火口とマグマだまりをつなぐ溶岩の通り道で、火山活動終了後にそこに残って固まった火山岩が、この筆島のような尖った岩となって残ることがある。このような地形を火山岩頸(かざんがんけい)と呼ぶ。火山の山体自体は火山灰などの堆積でできており元々侵食には弱く、硬質な火道だけが差別浸食により残ることでできる。筆島火山の場合は、波により山体のほとんどが削られてなくなってしまった。

夕日を見るポイントがサンセットパームライン付近なら、朝日はこの筆島あたりがおすすめだ。筆島の背後にある海食崖は筆島火山の山体の一部と言われており、その赤茶けた断崖が真っ赤に染まる様は圧巻である。

スコリアの土壌に根をおろすタイトゴメの小さな株。筆島にて。

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三原山① 1986年の噴火の痕跡を訪ねる

1986年11月15日、三原山山頂の火口(A火口)から噴火がはじまる。火口からあふれた溶岩は内輪山を埋め尽くし、19日にはその稜線を越えてカルデラ内へと流れ出た。11月21日の午後4時15分にはカルデラの北側から割れ目噴火(B火口列)がはじまる。噴煙は8000mまで達し、噴水のように溶岩を吹き上げた。さらに午後5時46分には元町の市街地のすぐ上の外輪山山腹からも割れ目噴火(C火口列)がはじまった。島民は元町から島の南部にある波浮側に一時非難するも、地震の震源がそちら側に移動したことなどから、大島に安全な場所がないと判断され、午後10時50分に全島避難が決まった。東海汽船、海上保安庁の船舶が夜通しの救助にあたり、翌22日の早朝には全島民と観光客の合わせて1万226人の避難が完了する。

当時のニュース映像をライブで見た記憶もあるし、その後に放映された全島避難をテーマにしたドキュメントドラマでも噴火の映像がふんだんに使われていたので脳裏にはしっかりと残っている。三原山に登るなら、その時の映像を動画サイトなどで見直してから来ることをお薦めする。35年も前の出来事だが、その痕跡は今も克明に残っており、実景と噴火の映像が合わさることでよりリアルに、そして動的に見えてくる。

外輪山の展望台から見た三原山の内輪山(中央火口丘)。三原山の山容は外輪山と内輪山の二重構造になっており、その間はカルデラが広がっている。内輪山山頂は溶岩原が広がり、その一角に火口が空いている。内輪山自体は、1777年の大噴火でできたもので比較的新しい。内輪山の平らな稜線から黒く流れ落ちているのが1986年に火口からあふれた溶岩流である。

カルデラ内を通る遊歩道脇から見た1986年の溶岩流の末端部。植生が侵入しているが、まだまだ玄武岩の真っ黒な岩肌を覆うことはできていない。ニュース映像では溶岩はトローっと滑らかに流れていたが、固まった溶岩はガサガサしており少しイメージが違う。専門用語ではこのような溶岩をアア溶岩という。

遊歩道から見下ろした1777年の溶岩流の跡。カルデラ内という自然環境の厳しさもあるだろうが、それでも約250年の年月を経てもまだ植生に覆われるには至っていない。

1986年の噴火では、この火口から内輪山まで満杯になった溶岩が、写真奥の縁からその向こうのカルデラ側に流れ下ったという。その様子を撮ったのが下の写真。

内輪山からあふれてカルデラに向かって流れ下った溶岩流の跡。

火口内の岩壁。崩壊して現れた原色の彩りが美しくもあり、不気味でもある。写真ではわかりにくいが、かすかに蒸気が上がっている。

柱状節理が見られる最上層が、1986年に噴火した際に内輪山内にたまってできた溶岩層。火口西展望台より。

内輪山稜線付近に横たわる巨大なアグルチネート。アグルネチートとは、吹き上がる溶岩のしぶき(スパター)が厚く積もってできた岩塊のこと。このアグルネチートは、火口付近から溶岩流に乗って流されたが、内輪山の稜線の高まりを越えられず、このあたりに取り残されたものである。

アグルネチートの内部。玄武岩溶岩のしぶき(スパター)が寄せ集まってできたことがわかる。

登山道脇に転がる玄武岩溶岩の塊。岩に残るしわは、溶岩が流れた時の跡か、火口から噴き出した溶岩の塊が落下した際の衝撃の跡と思われる。このように表面張力がある玄武岩溶岩を、パホイホイ溶岩と呼ぶ。高温で流動性に富む。

落下した際の「べちゃ!」という衝撃が生々しく残る火山弾。

溶岩流の末端部は、溶岩の表面がイガイガしており、滑らかな質感の「パホイホイ溶岩」に対して「アア溶岩」と呼ばれている。ともにキラウエア火山があるハワイの方言がもととなってできた専門用語である。パホイホイ溶岩が流れるうちに温度が下がり、また中のガスが抜けることで流動性が乏しくなることで、このようなガサガサした質感になる。玄武岩溶岩は、パホイホイ溶岩からアア溶岩へと変化すると考えてよい。

溶岩への植生の侵入は、苔が先陣を切る。苔によって分解されてできた土壌に草の種が落ち芽を出していく。

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三原山へのトレッキング

三原山の内輪山にはいくつかの登山ルートがある。テキサスコースは、大島一周道路が起点となるので標高差もあり、まさに登山を目的とした人向きということになる。観光の延長での火口見学であるなら、山頂口駐車場から内輪山まで舗装された山頂遊歩道コースをたどろう。所要時間は片道約40~60分程度である。ただし三原山の山頂は気温が低く風も強い。霧も出やすいので天気予報が悪い時の見学は避けるべきだ。行ったとしても何も見えなく、歩道を離れると遭難の危険すらある。

外輪山の県道終点にある「山頂口」の施設。トイレ、路線バスのバス停と待合室、ジオパークの展示施設(開館は土日祝のみ)がある。

カルデラ内を通る「山頂遊歩道」。軽自動車も走れる整備された道なので天気さえ良ければ誰でも安心して歩くことができる。溶岩流の末端なども間近に見ることができる。

山頂口から遊歩道をのんびり歩いて約1時間、内輪山の稜線に出る。まず出迎えてくれるのが三原神社奥宮の鳥居とアグルネチートの岩塊群。鳥居の向こうに見える富士山は特に印象に残る。

舗装された遊歩道は円筒状の展望台と火口展望場まで。お鉢まわりは砂利道になり、ロープなどの柵も部分的になるので一般観光客は注意が必要となる。 写真は、火口展望場から見た溶岩原と遊歩道、その向こうに富士山。

お鉢まわりの登山道のようす。火口を一周するお鉢まわりは、距離約2.5km、ゆっくり歩いて約1時間程度である。見どころは火口や裏砂漠の俯瞰、伊豆半島から富士山、利島など伊豆諸島などの大展望で、それらが次々と現れ場面転換していく。

山頂火口を俯瞰する。新三原山と名付けられた山を回り込んだところがビューポイント。火口の底まで見えるのはここだけ。富士山も見える。

お鉢まわりコースから見た伊豆諸島の島々。右端のお椀を伏せたような島が利島。

足元に敷き詰められたスコリア。岩や粘土、木の根を踏んで歩く普通の登山は脚に残る感覚が大きく異なる。

お鉢まわりの途中で見られる1986年に発生した割れ目噴火のB火口。

三原山の各所に設置されている火山の観測機器。GPSなどを利用し、山の膨張の具合などを調べている。

山頂部の概念図(現地設置のものを複写)

三原山② 裏砂漠

「裏砂漠」とは三原山の東側に広がるスコリアの大斜面である。洋上の孤立峰である三原山は風が強く、例えば冬に伊豆半島から大島を見ると、他が晴れていても大島上空にだけ雲がかかっていることがよくある。富士山から関東平野を吹き抜けた乾いた季節風も、大島にあたることで上昇気流に転じ雲を発生させるのだろう。当然その時の三原山は強い風が吹いているはずだ。そんな強風の影響で植生の繁殖が進まずできたのが裏砂漠の景観である。

三原山の火口と溶岩流、砂の浜の黒い砂浜、そしてこの裏砂漠が私が推薦する見ておくべき伊豆大島の絶景である。

三原山の内輪山から俯瞰した裏砂漠。標高差750m、太平洋まで見える。

月と砂漠ライン 第一展望台付近から見上げた内輪山。荒涼とした景観に異星を歩いているような感覚を味わう。

外輪山の一角である櫛形山から太平洋を望む。月と砂漠ライン駐車場から徒歩で約20分程度。このあたりが一般観光客の終点。

大島一周道路にある月と砂漠ラインの入口。駐車場まで約3kmだが、部分的に狭い所もあるので運転には注意すること。

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島の風景

■大島桜

伊豆大島を中心に伊豆諸島、伊豆半島などに自生する日本の桜の原種のひとつ。

三原山の外輪山の山腹を駆け上がる大島桜。火山博物館の裏手からと、地層切断面の元町寄りにある「かっぱの橋」の上からが見事。4月中旬ごろには、三原山温泉から三原山を望むと自生する大島桜が満開となりカルデラ内を埋め尽くす。

里の大島桜の開花は、だいたい東京のソメイヨシノと同じ時期。白い花と同時に緑の若葉を出すので、花木全体からは緑系の色を感じる。

大島桜の桜株。国の特別天然記念物に指定されている。樹齢800年と言われる大島桜の古木で、親株のまわりには子株が数本見られる。写真は親株の桜。主幹はボロボロで木枠で保護してある。

里の大島桜の大木。島の風景によく溶け込んでいる印象。

三原山の山頂口駐車場の少し手前にある道沿いの展望台から見た夕日。眼下は元町港と対岸に伊豆半島の天城山が見える。

上と同じ場所から撮影した元町と伊豆半島の夜景。夜明け前、伊豆半島に天の川がかかるかと期待したが方位が合わなかった。

トウシキ園地から見た天の川。元町の光害もなく、少し薄雲がかかる条件ながらこの天の川の見え方! 本当に快晴ならすごい星空が眺められるだろう。

立っていられないほどの風が吹く筆島の夜明け。折り畳み傘を差して、それを防風に使いながら撮影した一枚。

水平線を行く大型の貨物船。

元町港付近のお寿司屋さんで食べた島寿司。前列右が島の郷土料理のひとつ「べっこう」。青唐辛子入りのしょうゆをメインにした調味料に、刺身を漬け込んで握ったもの。

伊豆諸島の名物くさや。くさや液にアジやトビウオを漬け込んで天日干しにした干物。独特の匂いがあり好き嫌いがわかれる。購入時に「自宅では焼かないように」と注意をされた。

後日、野外で炭火で焼いていただいた。独特のアンモニア臭が鼻を突くが、個人的には案外平気だった。私は飲めないからわからないが、酒の肴にはよいのだろう。

取材日:2020年3月25日~27日

ジオスケープ・ジャパン 地形写真家と巡る絶景ガイド

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コメント

  1. GEOSCAPE より:

    山崎様
    コメントありがとうございます。
    富士山と伊豆大島は同型の溶岩で山を歩くととても雰囲気が似ていました。
    まだ富士山頂には行ったことがなく、今年と思っていたらこの騒動です。
    今は辛抱して自分の写真に肉付けをする日々です。励みになります。
                                竹下

  2. 山崎秀秋 より:

    大島の火山の噴火は私の記憶ではさほど遠い記憶ではありません。が、30数年経過していたんですね。私の知っている溶岩は富士山だけです。溶岩について勉強させていただきました。写真とお話により非常に興味がわきますね。有り難うございました。

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