三陸海岸 宮城県 岩手県

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今回(2017年10月)は国道45号線を北上しながら、気仙沼から田野畑村の北山崎までを撮影しました。岩井崎や浄土ヶ浜など、よく知られた景勝地の地形をメインとしながらも、東日本大震災による地形変化などにも目を向けたいと考えていました。

気仙沼から宮古市までは典型的なリアス式海岸が続き、岬で地形撮影を行ったあと、次のポイントへの移動中に目にするのは決まって湾内の被災地の何もない光景です。岬、湾、岬、湾を繰り返すのがリアス式海岸の景観の特長ですが、いまだに三陸海岸では、岬、被災地、岬、被災地のままです。巨大な防潮堤が造られ、土地がかさ上げされた後に本格的な町の再建がはじまるのでしょう。ただその途方もない量の工事の完成まで人々の気持ちがついて行けるのだろうかと、不安を感じました。

岩手県宮古市の景勝地 浄土ヶ浜。震災当日、この内海の海水がすべて引いて海の底が見えたそうです。しかし津波に襲われて壊れたのは観光施設だけで、浄土ヶ浜の岩礁自体は多少沈降したものの、見た目の被害はなかったと小型観光船の船頭さんがおっしゃっていました。1000年に一度の大災害も、もっと大きなスパンで存在する自然には、ほとんど影響がなかったということなのでしょうか。

岩井崎  宮城県気仙沼市

岩井崎の写真は以前からよく目にしており、石灰岩の白く尖った岩礁が並ぶ光景にはずっと惹かれていました。岩礁の面積は決して広くはないのですが、その統一された美は他の海岸にはない大きな魅力です。

石灰岩に顔を近付けてその表面を間近で見ると、細かな生物のパーツが一面に広がり、それらの堆積によってこの岩ができていることがわかります。およそ2億5千万年前のペルム紀、赤道付近の暖かい浅瀬の海で生息していた生物やサンゴ礁が降り積もって堆積し、プレートによって北に運ばれて今目の前にあるのです。

岩井崎の石灰岩岩礁。CO₂を含んだ雨による浸食で尖った岩肌は、手を切るほど鋭く危険です。その景観が地獄絵図の「針の山」を連想させるからか「地獄崎」と呼ばれたこともありましたが、それでは縁起が悪いだろうとなり「祝(いわい)崎」と改名され、それが転じて「岩井崎」になったとか…。

岩井崎の名物「潮吹き」。石灰岩の波打ち際は、そこら中に穴があいており、波が打ち寄せると水鉄砲のごとく潮を噴き上げます。

石灰岩の表面を凝視すると色々な生物のパーツが目に入ってきます。大きな絶景にも負けない「感動」があります。

海岸沿いにある震災遺構の校舎。その前に立ち、窓ガラスがなくなっている3階のあの高さまで達する海水にあたりが埋め尽くされた様子を想像した時、テレビの画像からでは伝わらない事態の巨大さに震えました。震災遺構は教訓を得る場になればと、保存されたものです。

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 唐桑半島 宮城県気仙沼市

唐桑半島に立ち寄った目的は、津波により陸に打ち上げられた「津波石」を取材するためでした。震災を自然や地形の変化から撮ってみたいと考えていましたが、今回は三陸海岸全体が沈降したので、定点撮影による比較を行う以外、写真でその変化を表現することはほぼ不可能と思われます。そのなかで直接的な地形変化ではありませんが、「津波石」の存在はその脅威を使える被写体として重要だと考えました。

唐桑半島の名称「巨釜(おおがま)」の海岸に立つ折石。岩井崎と同じくペルム紀に堆積した石灰岩にマグマが貫入し、その熱変成を受けています。

折石の基部あたりに、砂泥互層と思われる層が見えますが・・・。

津波石へのアクセスは、半島の先端部にある「唐桑半島ビジターセンター」から始まります。駐車場から断崖の上を通る歩道を歩いて約20分の行程。

神の倉の津波石。湾内には最大で5m四方の巨大な津波石が全部で5つ打ち上げられており、それらすべてが東日本大震災の津波により近くの海底から運ばれてきたものです。津波石は、海中にあった時に付着していた貝などにより、白く粉を吹いたようになっているので、すぐに見分けが付きます。さらに入江の奥には、不自然に大きな岩が横たわっており、もっと前の大津波で打ち上げられた「津波岩」ではないかとのことです。

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碁石海岸 穴通磯 岩手県大船渡市

碁石海岸を代表する景勝地「穴通磯」。望遠レンズで洞門に寄って撮影すると、層理面に沿って浸食されていることがわかります。

建造中の防潮堤。その高さと奥行きから、この湾を襲った津波の圧倒的な量感が想像できます。

建造中の防潮堤、何もない沿岸部、高台に新築された住宅。今の三陸を象徴するような模式的景観。

市街地に入る前と出る時に必ず現れる「津波浸水エリア」の標識。その位置の高さに何度も「間違いでは?」と思ってしまいました。

宮古市の巨大防潮堤。これは人が造った新たな「地形」です。

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浄土ヶ浜 岩手県宮古市

浄土ヶ浜の特長は、その白い岩肌とピラミダルな岩礁が海上にずらっと並ぶ様子にあります。これは浄土ヶ浜が流紋岩という白い火山岩でできているからで、その特性が周囲の海岸とは異なる景観を作っています。

「三陸海岸=リアス式海岸」というイメージがありますが、正確には宮古市から隣にある山田湾以南がリアス式であり、それ以北は「断崖」が見せ場となる単調な海岸線に変化して行きます。東北全図くらいの縮尺の地図を見ると、宮古湾の切れ込みを境にして南北で海岸線の性質が変わることがわかります。

白い岩塔の基部と玉砂利を曇り空で撮影しました。少しだけハイキ―に仕上げることで静かな「浄土感」が演出できたと思います。

小型遊覧船に乗り青の洞窟へ。流紋岩の岩肌の造形が間近に見られ、2回も乗船してしまいました。洞窟が青く見えるのは晴れの午前中。

節理と波食による造形。小型遊覧船より。

おなじく小型遊覧船より撮影。

青の洞窟の入口の節理。

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三王岩 岩手県宮古市

三王岩は、宮古市の田老湾の北側にあります。震災前、「現代の万里の長城」と称され鉄壁と信じられていた「田老の防潮堤」を破壊した大津波ですが、高さ50mにも及ぶ三王岩の男岩には被害はありませんでした。かつての遊歩道は被災し廃道となりましたが、新たに背後の断崖上に駐車場を設け、そこから階段で岩を見られるように再整備されています。

三王岩は奇岩が3つ並んだその姿に目が行きがちですが、男岩の岩肌には明瞭な堆積岩の地層が見られます。これは田野畑村から宮古にかけて点在する「宮古層群」と呼ばれる1億1千万年前の地層で、岩塔の下から2/5が礫岩層で、その上の3/5が砂岩層からできています。

下調べの時に、現地の写真も検索して見ておきますが、その時の印象では、三王岩はあまり好みではありませんでした。しかし現場では、男岩の聳え立つ地層の塔にすっかり心奪われ てしまい、そればかりを撮っていました。

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北山崎・鵜ノ巣断崖 岩手県田野畑村

三陸海岸の北側は、海面からの標高差が200mにも及ぶ海食崖が続きます。断崖上は、かつての海底のなごりである平坦な土地が広がり、今は放牧などが行われています。このような段状の地形を海岸段丘と呼び、急激に土地が隆起したことを物語っています。

海のアルプスと称される北山崎は、1億2千万年前に噴出した火山岩からなります。浸食に対すして強く、険しい風貌で見る者を圧倒します。また鵜ノ巣断崖は、1億4千万年前の付加体からなる堆積岩が中心で、鋭角的な北山崎とは対照的な柔らかな曲線からなる断崖が続きます。

朝の光を浴びる北山崎の断崖。三陸海岸を代表する景勝地。

北山崎展望台付近から真下の岩礁を俯瞰。

第二展望台への道標。険しい地形ながら、遊歩道は安全に整備されています。

北山崎第二展望台。周囲の樹木が成長し、かなり眺望が阻害されています。

鵜の巣断崖 遊歩道の入口。

北山崎の険しさとは対照的な印象の鵜の巣断崖。

龍泉洞。透明度の高い地下水が印象的でした。ただし洞内の照明が写真撮影向きではなく、かなり苦労しました。

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ハイペ海岸の津波石 岩手県田野畑村

ハイペ海岸は、北山崎と鵜の巣断崖の間にある小さな浜です。ここでは宮古層群の地層や津波石を見ることができます。

海面あたりの岩肌に白い粉を吹いたような部分がありますが、これは唐桑半島で見た津波石と同じで、少し前までは海中にあって貝などが付着していた跡です。この岩は全面が白くないので、震災以前から海面に頭は出ており、津波によって陸側に少し押されたのではないかと想像します。

灰色の堆積岩にもたれかかる褐色の砂岩の津波石。落石などではなく、大きな力によって不自然に置かれたその状況に、強い衝撃と畏怖の念を感じました。この津波石は、震災前にすでに波打ち際にあったようで、東日本大震災の津波で今の位置まで運ばれたのです。

津波石の砂岩は、湾の入り口あたりにある砂岩層から海に落ちたもので、過去の津波で海底から波打ち際まで、そして今回の震災であの位置まで運ばれました。

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取材日:2017年10月12日~14日

ジオスケープ・ジャパン 地形写真家と巡る絶景ガイド

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